嘘だまり

それぞれの母(1)

2017年03月17日
幻の家族
小雪の母

 焦燥と悔恨の一年だった。小雪の消息がつかめないまま、翔一は思った以上に厳しい研修と新製品の開発業務に追われた。
 翔一は人々の心や暮らしを豊かにするために新製品の開発があると思っていて、それが夢の起点となっている。
 だが、物があふれた今日、そのような新製品は稀有けうだ。会社を維持するためには、たとえ生活に必要としなくても、常に新しいものを生み出さなければならず、「単価の切り詰め」の一言で、翔一が必要と思うところも切り捨てなければならない。会社の示す方針は翔一の夢を次々と打ち砕く。それでいて、会社は常に結果を求める。
 そのたびに翔一は挫けそうになり、今まで相談に乗ってもらった小雪の存在がいかに大きいかを思い知る。だが翔一は耐えた。小雪が陥った苦境を思えば耐えることができた。
 同じ夢を持つ仲間が、一人、二人と脱落する中で、一年の厳しい研修期間が終われば、翔一もそれなりに評価の良い社員の一人になっていた。だがその代償として、翔一の神経はささくれ、面貌までが変わる。持つ夢には足かせがあり、会社や上司にとって便利で扱いやすい歯車の一つとなっていた。
 休日になって寮を抜けた翔一は、研修期間中にほとんど寄りつくことのなかった家に戻り、真っ先に小雪が使っていた部屋に入る。もしかしたら小雪の持ち物が戻っているかもしれないと淡い期待を抱くが、部屋の中は埃を被ったままだ。
 窓を開けるといつの間にか枯れ野は消え、瑞々しい緑で覆われている。その緑の中から初夏を思わせる風が翔一に向かって吹いてくるが、爽やかとは裏腹に翔一の心は重い。他人のような父、そりの合わない母から、小雪の消息を聞きだせないままでいた。
 翔一はこの一年、小雪はどのように暮らしているのか、気になって仕方がなかった。小雪が話した、「母がお世話になったお礼」とはどれくらいだろう?。今となればもう遅いが、「二人で少しずつでも返していこう」と話しを持ち出していれば、小雪が家を出なくて済んだかもしれないと思い翔一は悔やんだ。
 翔一は小雪の部屋を丹念に調べたが、行き先を知る手がかりは只一つ残った机にも無かった。これまで何度か、見落としが無いかと調べているが、やはり無いと分かるとわずかながらも気落ちがある。
 だが、小雪の行き先を探る手掛かりは意外なところにあった。
 翔一は一年の埃が薄く溜まった机を撫でると小雪の温もりに触れたような気がした。それが、「一度でいいからこのようにして、母の温もりを知りたかった」という小雪の言葉につながり、記憶の底に沈んでいたできごとを蘇らせる。小雪の行き先を知る手掛かりは、翔一の記憶の中にあったのだ。
 あれは翔一が小学三年生だった頃だろうか。その頃は、授業が終わってすぐに帰っても家には誰もいないので、遅く終わる小雪が姿を見せるまで校内で待っていることが常だった。
 翔一の情景は当時に遡る
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