嘘だまり

翔一と小雪(5)

2017年03月15日
幻の家族
あやまち

「たとえこの先、望まない人がこの体に踏み込んでも心の中まで踏み込ませない。そのためにも最初を委ねる人は自分で決める」
 小雪は「自分で決める」を矢のように放った後、翔一を説くように、
「そう思ったものの、ふさわしい人が思い浮かばなくてずいぶんと悩んだ。けれどもハッと気が付いた。
そうだ! 血の繋がりは無くても姉弟として支えあって、気心の知れた人が身近にいると」
 小雪は翔一の視線を捉える。
「翔ちゃんなら、何もかも安心して最初を委ねられる」
 すがりつく手に力を込める小雪。
「血の繋がりに劣らない、確かな絆が欲しい」
 ようやく翔一は小雪の「叶えたい願い」の輪郭が見えたが、その実状は想像するだけでも冒険に等しいもの。
 翔一にとって母のように慕う小雪は、存在があまりにも大きく託される荷が重すぎた。
 だが重いからといってこの場で荷を放れば、この先、「後悔」という別の重荷を一生背負うことになるだろう。翔一の心は揺れた。
「翔ちゃん、惑うことなく願いを叶えてくれるわね」
 悲壮にも似た表情で小雪は告げる。ベッドの上で上体を起こした小雪は、身に着けた衣服を自らの手で剥がし始め、「願いを叶えてくれるわね」の言葉が呪縛となって止めようとする翔一を封じた。
衣服が剥がれるたびに翔一の心は「確かな絆が欲しい」へ傾く。小雪と血の繋がりが無いと知って衝撃を受けた翔一だったが、一歩前に踏みだすだけで、翔一と小雪は他人ではなくなる。
 小雪の願いが翔一の願いとなり、呪縛から解き放たれた時、最後に残った「姉」という衣服が小雪から剥がれ落る。薄闇の中にも白い肌が晒されて、惑いが僅かに残る翔一の退路を断ち切った。


 幻は家の前を通る道路から聞こえたかすかなブレーキ音で霧散する。目を開ければ淡い明かりが戻っているが、窓の外は暗く、耳を澄ました翔一に家の前で止まった車のエンジン音、話し声などが聞こえた。
 翔一にはいま起きたことのすべてが幻のようだ。だが幻ではない証に、翔一の間近に淡い明かりを浴びる白い体がある。
「車の止まった気配がする」 
 翔一は小雪の体をそっと揺すった。
 外から聞こえていた話し声が止み、車のドアが閉まる音、走り去る音などが次々と聞こえてくる。すでに足音は玄関へ向かっていた。
 そうと気付いた小雪は自らの下で皺になった衣服を掴んで体を覆い、足早く部屋を去った。
  同時に玄関の戸が開く音。「ただいま、今戻ったよ」 母の声が聞こえる。


 翌朝、小雪が気になった翔一は何度か小雪の部屋の前を行き来した。
 そのたびに声をかけたが返事はなく、翔一は小雪の返事を待たずに部屋の戸を開けようかとためらったが、ついに翔一は小雪と顔を合わせないまま会社に出かけた。
 会社では翔一の配属先がまだ未定で決まった業務は無い。退社近くになって、「君の上司だ」という方に呼ばれて面談する。
「君が今までに提出したレポートはおおむね好評で、君が望んだように、新製品の開発部門への配属は決まっている。だがそのためにはさらに一年、業務を兼ねた研修が必要となるが、すでに君を受け入れる体制は整えてある」
 上司はそう言って翔一に細々と指図した。翔一は夢が現実になる嬉しさで気分が高揚する。
 

 会社からの帰り道、いち早く内定を伝えたい気持ちが翔一を急かした。翔一の脳裏に喜び励ます小雪の姿が早くも浮かんでくる。家の前に来て、翔一の走っていた足がふと立ち止まった。
「何か違う」
 朝翔一が出かけた時と比べて家の様子は変わらないが、家から伝わる雰囲気が朝とは違う。不安に駆られた翔一はもどかしい思いで玄関の戸を開け、靴を脱ぎ散らかして廊下へとかけ上がった。
「誰かいる!? 」 
 翔一は叫んだが階下には誰もいない。すぐに二階の小雪の部屋に向かった。
「姉さん、姉さんいる!?
「ドン、ドン、ドン」と、戸を叩きながら呼びかけたが応答はない。
 翔一は思い切って引き手に手を伸ばした。戸を開けた部屋の中で見えたものは机がただ一つ。質素であってもそれなりにあった小雪の持ち物はすべて無かった。
 翔一は高ぶる気持ちに冷水を差された形となり、部屋の中で呆然と突っ立った。
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素姓乱雑
記事作成者: 素姓乱雑
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