嘘だまり

かいこ(4)

2016年10月21日
かいこ

男は納得したように、
「まぁいい、無理に思い出さなくてもそのうちに思い出すさ」
 続けて、
「まさか俺の名前を忘れていないだろうが、俺はおまえの兄で翔一、これは嫁の蚕子、そして子供は繭子と絹子だ」と、指し示して翔梧に名前を教え、嫁には「弟の翔梧だ」、子供たちには「叔父さんだよ」と優しく言い聞かせる。
 どうやら男は、翔梧が出かけたまま戻らないばかりか長い年月に渡って便りも寄こさなかったのは、「記憶を無くした」ものと受け取ったようだ。
「それしても不思議だな、明日が親の祥月命日という日に戻るなんて。これも親の引き合わせだろう」

そこで男は話を区切り、翔梧のコップに酒を足した。翔梧も不思議でならない。夕刻になって出かけた訳は、明日が親の祥月命日という日になって法要の手配りに誤りがあると気付いたからで、親の命日を知り、翔一、翔梧と、兄弟の名を正しく言えるのは、男が兄であるという確かな証。
 それでもなぜか釈然としないのは、両親を亡くしたすぐ後に頼みの兄まで失い、何も手がつかないほど嘆き悲しんだ日々の辛い記憶が心に焼き付いているからか。
「どんな仕事をしている。身形は悪くないようだから、食うには困っていないと思うが」
「建設会社の作業員をしている」
「作業員と言えば外仕事に加えて力仕事だ、辛くはないか」
「いや、誰でもやっていること」
「困ったことが有れば何でも言え、できる限り力になってやる」
 男は兄らしい気遣いを見せるが、なぜか翔梧は男を素直に兄と呼べない。

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