嘘だまり

ある店で (その1)

2017年02月07日
ある店で

奈津夫がその店をのぞいたのは気まぐれでしかなかった。

通りを歩いていると路地から少し入った所に時計屋が見える。古くさい店だ。こんな場所で、しかも寂れたような店に客が来るのだろうか?、窓越しに店の中を見てみると案の定、誰もいない。だが意外にも、店主は女性で若かった。
 店主に惹かれた奈津夫はドアを開けて、店の中に入った。

時計を修理中だったのか、店主はドライバーを持った手を止め、付けていたルーペを外しながら「いらっしゃい」と言って奈津夫を見た。
「見たことも無い人だけど、電池の交換? それともベルトの交換? だったら買った店で頼んだ方がいいわよ」
 どうにも不愛想な店主だ。
「いや、手ごろな時計がないかと……」
「じゃぁ、そこら辺で気に入った物が有ったら勝手に持って行っていいわよ」
「えっ、勝手に? じゃあ代金は?」
 棚に並んでいるのは高級そうな腕時計ばかりだ。奈津夫は店主の言うことが信じられなかった。店主は外したルーペを机の上に置き、机の縁を回って奈津夫のそばに来た。
「代金? ここにある時計は前の持ち主が要らないって言ったのを、修理して使えるようにしたもの。だから代金はいらない。だけど、気に入らなくても捨てないで、必ず返してくれればそれでいいわ」
 そう言った後で、「せっかく動くようにしたんだから」と、付け加えた。奈津夫は並んでいる中から気に入った一個を取り出し、腕に付けてみた。すぐに時計は腕になじみ、持ち重りや違和感がまったくなかった。

 

ただ、時計屋から帰った頃から、奈津夫は夜中に艶夢を見るようになった。

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素姓乱雑
記事作成者: 素姓乱雑
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