嘘だまり

かいこ(3)

2016年10月17日
かいこ

見知らぬ男から兄と言われて翔梧が戸惑っていると、
「どうしたの、知った人?」
 二人の声を聞きつけたのか、女の声と奥から駆けつける足音が間近になった。
「何を遠慮している、ささ、早く上がれ!」
「何もお構いできませんけど、上がってください」
 夫婦とおぼしい二人に手を持たれ、翔梧は靴を脱ぐ暇もなく玄関から内へ引きずり込まれる。その時になって抜けた靴が「コトン」と音たてて廊下に散らばった。
 翔梧が連れて行かれた部屋は茶の間で、時分どきらしく、裸電球が照らした丸い卓の上に夕食の準備がしてある。男と女の間に座らされた翔梧は、さっそく酒の入ったコップを持たされた。飲むように勧められて口に含むと辛くもなければ甘くもない、今まで味わったことのない不思議な酒だが喉越しだけは妙にいい。思いがけない出来事の連続で喉が渇いた翔梧は残った中身を一気に飲んだ。
 男はしみじみとした口調で、「おまえなぁ、急にいなくなったので、どうしたものかと案じていた」と言い、女は、「残り物だけど」と言い訳をしながら酒の肴を並べ、翔梧に箸を持たせた。
 女の隣には子供が二人、夜のちんにゅうしゃが父の知り合いと分かったからか怯えた様子はなく、箸が止まったままなのは、自分たちとどのようなつながりなのか興味があるからだろう。父と翔梧の話に聞き耳を立て、時折、翔梧へ視線を這わせる。
 もし兄が現れるとすれば男と似た年恰好だろうが、十二年前に他界した兄が現れるはずもないと翔梧は思う。弟が戻ったと喜んでいる目の前の男に「人違いだ」と重ねて言えなくなり、男の弟でないと分からせるにはどのように話を進めればいいのか困っていると、男は翔梧を眺めて、「そうか」と小さく頷いた。

関連記事
素姓乱雑
この記事を書いた人: 素姓乱雑
Address:富山県南砺市城端