嘘だまり

かいこ(28)

2017年01月08日
かいこ

- 最終章 -

窓ガラスを叩く「コンコン」という音がする。
「翔梧さん!」
 あの男はまだ何かを言いたいのだ。いまだ翔梧の耳に警笛の音が残っている。
「翔梧さん聞こえますか?」
 あの男の姿が残像となって話しかけた。
 車のライトが襲い体が宙を舞ったのは自分か?、いや、こうして意識はあるのだから舞ったのはあの男か?、そうではなくて、兄が事故に遭ったときに見た一瞬だった。翔梧は十二年前の年明けに起きた兄の事故を思い出して現実に戻った。
「翔梧さん、大丈夫ですか?」
 翔梧は車の外から聞こえる声に応じて窓ガラスを下げ、窓から顔を出して声の主をみれば、法事の打ち合わせを確認をするために訪ねようと思っていたお坊さんだった。
「どうしたんです、翔梧さん」
「どこかで道に迷い、そのうちに車を動かせなくなって」
「昨夕、出かけられたと聞いたのですが、いつまでたってもお見えにならないので、あちこちをずいぶんと捜しました」
 道に迷ったと思ったがどこをどう走ったものか。辺りを見回せば、かっては父が勤めていた蚕業技術指導所の跡地だ。確か、一夜の仮宿を頼もうと思い車を降りたはずだが、なんだ、今まで夢を見ていたのか。なんで、亡くなった兄を偽る男が夢に現れたものか、ずいぶんと変わった夢を見たものだ。
 翔梧はそう思いながらドアを開け車の外に出ようとして、靴を履いていないと気付く。
「そんな馬鹿な!」 靴を履かずに出かけるなんてあり得ないはずだ。だが、どこを捜しても車の中に靴は見当たらない。
 翔梧の脳裏に、夫婦と思しい二人に手を持たれて靴を脱ぐ暇もなく玄関から内へ引きずり込まれ、その時に抜けた靴の、「コトン」と音たてて廊下に散らばる光景が浮かんだ。
 だがそれは夢の中の出来事。まさか、一夜の宿を頼もうと思った家に靴を置き忘れたというのか。
 ふいにあの男の、「翔梧、また会うことがあるやも。その時まで、翔一の腕時計を身代わりとして預かって置く」の声が蘇り、 「ハッ」とした翔梧が確かめれば、出かける前に腕に付けて時間を調べたはずの腕時計が見当たらなかった。

 
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素姓乱雑
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