嘘だまり

かいこ(27)

2017年01月04日
かいこ 0
「兄さん!」

すべては瞬時のことだ。
 人喰い谷で翔梧が気にした時と同じような、ガサゴソ動き回る蚕の気配が濃厚になった。
「安心しろ翔梧、いま俺が食ったのはお前の頭の中に残った翔一にまつわる記憶だ」
「お前は!」
 翔梧の目前で像を結んだ男は蚕の一部を覗かせていた。
「そう、俺は人喰い谷で北さんが捜しても、最後まで見つからなかったという蚕。お前の父が、翔一とお前の、兄弟の間に存在を含めた三頭の内の一頭。間違いなくお前の兄だ」
「そんな馬鹿な!、蚕は人の手を借りないと生きられないはず」
「繭になってしまえば人手など要らぬわ。こうやって九年目の繭を破り、人魂を宿して九界に戻るのは何も蚕子だけではない」
 あの男は、とっておきの内緒を教えてやる、と言ってニヤ付いた。
「翔梧、この『かいこ』に通じる道を指し示して誘い込んだ誘導員は俺だ」
 翔梧は思い出した。脇道へ車を進めながらルームミラーで見た、人魂のように舞う誘導灯の明かりを。その後、「どこへも行かないで!」と叫ぶ母の声を聞いた気がする。
「どうだ、俺と蚕子の家族、それにお前を加えて父の夢だった『かいこの世界』を育まないか」
 突然に耳をつんざくような車の警笛。男の声をかき消したばかりか、驚いた翔梧が顔を上げれば、路面に積もった雪でスリップしたのだろうか、男の背後に大型トラックの姿が迫った。車のまぶしいライトに射竦められて体の自由が利かない。体が宙を舞って、悲鳴をあげかけた翔梧の耳に男の声が聞こえた。
「俺も迂闊だった。お前が出かけるときに、翔一の持ち物だった腕時計を付けていると気付かなかった。あの腕時計を取り上げない限り、お前の記憶から翔一の全てを除くことはできぬ、おれが翔一でないと疑って、当然」
 男の声が遠くなった。
「翔梧、また会うことがあるやも。その時まで翔一の腕時計を身代わりとして預かって置く」
 腕を離れて宙を舞う時計が見える。
 翔梧の意識が遠のいた。

 
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