嘘だまり

かいこ(21)

2016年12月09日
かいこ

疑問を発した翔一に、北さんは悠然ゆうぜんと答えた。
「いや、事故が起きるまでをつぶさに知るものはいたがや」
「誰なんです、その人は」
 翔梧は勢い込んで聞いた。
「人と言うよりも一頭と言った方がいいだろう」
「まさか……、蚕が?」
 翔一と翔梧は口をそろえて北さんを見た。
「何も驚くことは無い、我が子のような蚕が付き添っていたがやから、全てを知るのは当然やちゃ」
 翔梧の背筋に冷たいものが走り、この場所にあるはずもなく見たこともない、村人が手渡したという箱の中の蚕がよみがえってうごめいた気がした。
「八年前、事故の第一報を受けて俺はすぐに駆けつけて来たがやけど、それはそれはおぞましい光景やった。大勢の者が喚き騒ぎながら、道から人喰い谷へ垂らしたロープを伝い、濃いモヤの漂う中を黄泉の国の入口が開いたような深い谷底下りていくがやさかい」
 捜索員は今にも谷底に引き込まれそうな恐怖に震えながら懸命にロープを伝って下りたが、突然の出来事なので、道路上にいる指揮官とロープの先にいて姿の見えない捜索員の連絡手段は口答のみだ。捜索員と指揮官は声を振り絞って何度も復唱した。濃いモヤと共に谷底から湧きあがる捜索員のくぐもった声が、地獄の底から助けを求める亡者ぼうじゃの叫び声に聞こえ、応える指揮官の声も辺りに木霊こだまして、亡者をそし閻魔えんまのようだ。
 まさに人喰い谷に広げられた地獄絵図。北さんは話すうちに当時の様子を思い出したのか体を震わせた。
「見た訳でもないのに事故が起きるまでをつぶさに知るのはなぜか」に対して、北さんは納得した答えを言わないが、初めて聞かされた、詳しい事故処理の凄まじさに霞んでしまって些細なことのようだ。
 北さんも捜索員の一員に加わり、ロープを握って崖を下りた一人だという。
 急峻な崖なので重装備のうえに梅雨特有のまとわりつく蒸し暑さが捜索員を苦しめた。ロープを握る手は汗で濡れて滑り、足もとは崩れやすくて滑落の危険を伴うので両腕に力を込めて握れば体力を奪う。一人が滑り落ちれば他の者を巻き添えにする恐れがあった。常に小石が体をかすめて落ちてゆき、そのうちの何個か体に当たったが、痛みを必死でこらえた。
 やがて、「見つかったぞ!」と言う声とともに捜索員が崖の横移動を始めた。北さんもロープを頼りに横移動を行い、何とか大破した車に行き着いた。
「俺が車の側に行った時はすでに、お父さんを道まで吊り上げる準備をしてたがや。どうやら背負われて崖を登るがやろう、屈強な男がお父さんを担ごうとしてたがやちゃ」
 体が持ち上がったその時、靴の片方が抜け落ち、靴裏に潰れてべつたりと張り付く白い塊が見えた。
「それが、村人が渡した三頭の内の一頭やと気付いたがや」
 北さんは先ほどまで話した内容をそれとなく裏付けた。

 
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