嘘だまり

かいこ(20)

2016年12月08日
かいこ

向かい側の急峻な山肌に折り返した道が見えて、お父さんは道が鋭角に折れ曲がった難所が近いと知る。
「ねぇお父さん、小箱に入った子がさっそく糸を吐いてる」
 蚕の入った箱を持ち上げ、置いた小箱の中を覗いていたお母さんが明るい声を上げた。
  「小箱をちぎって三つに分ければよかったかな、そうすれば……」
 嬉しくなったお父さんが車の前方から目をそらしてお母さんを見たわずかの隙を突いて、轍を踏んだ車が大きく弾んだ。
 お母さんの悲鳴のような、「どこへも行かないで!」との声が聞こえたすぐ後に、お父さんの右ひざへ白い塊が落ちた。塊は目を遣る間もなくズボンの裾をつたい、踏もうとしたブレーキペダルの上に滑り落ちた。
 一つ目の曲がり角が目前に迫っている。
 落ちた白い塊が蚕だと気付いたお父さんは、わが子に等しい蚕が乗っているブレーキペダルをすぐに踏めない。  一瞬のためらいが車を暴走させた。
 山肌に車輪を乗り上げ、車体の底からガガッと激しい衝撃が突き上げた。ひっくり返るかと思うまで車体を大きく傾け、窓ガラスを草木がビシバシと叩きつける。一つ目の曲がり角はなんとか乗り切ったがスピードは緩まない。
 ブレーキペダルを踏み続けるお父さんの靴裏に踏みつぶした蚕の感触が生々しい。将来の夢を紡いでくれるはずの我が子を自らの足で踏み潰したのだ。後ろめたい思いを抱いたままでブレーキを踏み続けるしかなかった。
 だが二つ目の鋭角な曲がり角が目前だというのに勢いは緩まず、操作不能に陥った車の突き進む方向は変えられなかった。
「車はザザザッという悲鳴に似た音をたて、砂ぼこりを巻き上げながら、一直線に人喰い谷へ落ちて行ったがやちゃ」
 北さんは抱えていた悲しい出来事を解き放った安堵からか、過ぎた年月を思わせるような長い吐息を吐いた。
 生々しい両親の最後の様子に翔一は顔を傾げて唾を呑み込んだが、翔悟の疑問を代弁するように言った。
「その事故が起きるまでの状況やけど、車の中には父と母の他には誰もいなかったはず。なのになぜか、北さんは詳しくご存知ですね」

 
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素姓乱雑
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