嘘だまり

かいこ(12)

2016年11月24日
かいこ

人喰い谷を通る時は誰もが慎重な運転をするので、今まで重大事故は起きていない。それが今回、「2名の乗った車が谷に転落」、という最悪の事故発生で地元は大変な騒ぎになった。すぐに救助隊が編成され、慌ただしく次々と現場に向かうサイレンの音が広くはない町を揺るがした。
 救出に駆り出された人達は現場に到着すると次々に命綱を頼りに急峻な崖を下りた。時折、濃いモヤが薄らげば、黄泉の国へ誘うように深い谷底が顔を覗かせる。隊員は今にも谷底に引き込まれそうな恐怖に震えながら崖を調べた結果、途中に生えた木が衝撃を和らげたものか車は谷底まで落ちなかったものの、助手席側のドアは千切れて吹き飛び、様変わりした姿を岩棚に晒していた。
 車外に放り出された母は即死。父は助け出された時にはまだ息があり、「かいこ、かいこが……」とうわ言を繰り返したが、病院までの搬送を待たずに母の後を追った。

幼かった翔梧はその日のことを何も覚えていない。後年長じて、聞いて知った全てだ。

兄・翔一と翔梧は父母の祥月命日の法要が終わった後、花を手向けるためにバスで事故現場へ向かった。転落地点は事故後に山肌を削って道幅をわずかに広げたが、道路は谷から離れた訳でもなく転落防止さくも十分と言えなかった。
「早いものだ、八年前か。あのような事故が起きなければ……」
 いつもはやんちゃな翔梧も返す言葉が思い浮かばない。事故が起きたとき、心ない一部の新聞などは「蚕業技術指導所職員夫婦が自殺!?」という見出しで書き立て、養蚕の将来を悲観したと煽り立てた。口にこそ出さないが、そのために翔一はずいぶんと肩身の狭い思いをしたようだ
 事故現場の路肩に立った翔一は鋭角に折れる道を見通して唇を噛んだ。翔梧は路肩に花を手向けた後で崖縁に寄って見下ろせばモヤの切れ間から覗く底知れぬ谷へ引きずり込まれそうで、どうしょうもなく足が震える。
 もとより翔梧は、「自殺説」など信じていない。父は養蚕に熱心であり、農家のあらゆる期待に応えようと努めた。1957年に(昭和32年)富山県呉西地区で1344戸の養蚕農家が有り、養蚕守護神としてオオゲツヒメを分霊奉安するなど養蚕は盛んで、当時の指導所の役割はまだ大きかったのである。
 ――父は何故、このような見通しの悪い道を速度も緩めずに下ってきたのか? 危険な道であることは分かっていたはずだ。
 翔梧は車の操作に馴れていない父が無謀な運転をするなど考えられなかった。

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