天地に祈る

天地に祈る

ダム湖を見下ろす台地に立つ鳥居とりい
前に佇めどやしろは見えず
ただ一陣の風がくぐり抜ける
かってはこの地に
平穏な暮らしが有りました
学び舎では子供たちの声が響き
民たちは喜びや悲しみを織り成し
鳥居をくぐり社に向かいて
日々の平穏を祈った
時は過ぎゆきて
聚落は湖底に眠り
いまは学び舎の跡地を示す碑と
鳥居が虚しく残る
いま鳥居の前で拝礼すれば
壮大な社が見えた
臼中をいだく社は天と地

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孤立する鳥居 2018.05.26 臼中にて


臼中の里伝承碑より

この臼中ダムは、小矢部川の上流地域約四、三〇〇ヘクタールに農業用水の安定供給を図るとともに、その流域を洪水から守るため、ここ臼中の地に建造されたものである。
 臼中の里は寿永(一一八三)の頃、砺波山の合戦に敗れた平家の武士が隠遁百姓となり、この地に住みついたと伝えられている。この地名は、臼の中のように窪んだ地形から名づけられたと言われている。以来、おおよそ八百年の歳月を艱難辛苦に耐え、田畑を開き村を守り継いできた。その後の変遷は確かではないが、文化三年(一八〇六)頃には七十二戸の聚落であったという。しかし、永年炭焼で生活を支えてきたが、時代の変遷と共にその需要は減り生活も次第に苦しくなったため、転住するものが増え、昭和二十年代には二十八戸が在位する聚落となった。
 ときに、昭和五十年聚落全体が湖底となるダム建設計画が提示されたため住民に不安と逡巡の声が揚がった。しかし、早魃と洪水に苦しんだ人々の懇望が強く、臼中聚落住民も遂にこれを受け入れ、昭和五十三年三月県当局と同意の調印を行なうに至った。同年九月十二日の秋祭りを最後に、鎮守社を小矢部市水島長谷川神官敷地内に遷座すると共に閉村し、さまざまな思いを胸にこの地を去ったのであった。その後、ダム建設工事は順調に進み平成二年(一九九〇)に完成し湛水が開始された。臼中の里は永遠に湖底で静かに眠りこの地を守り続けることであろう。
 かくて『臼中』の地名をダムの名に残し、故郷を去った人々の名前を碑の裏面に刻し、後世に伝えるものである。
平成五年三月吉日

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臼中ダムえん堤・管理棟 2018.05.26 臼中にて


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モニュメント日時計 2018.05.26 臼中にて


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臼中ダムえん堤を望む 2018.05.26 臼中にて

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Posted by素姓乱雑

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