嘘だまり

蓮の花(2)

2016年11月06日
蓮の花

兄はヒゲをそることがなかったのだろうか。いや、身ぎれいな兄だったからそのようなことはないはずだ。だとすれば、倒れてからもヒゲが伸びるほどの時間、動けないまま生きていたのだろうか。あるいは、亡くなってもヒゲだけは生きて伸び続けたのか。

私が考え込んだのを見て戸惑った署員は、気分が悪くなったと思ったのか写真を取り上げた。
「どうでしたか?」
 署員は写真の人物が兄かどうかを聞く。
「音信不通になってから十年ほど経ちますからね」
 私は言外に「兄かどうか分からなかった」という意味を含ませた。
事実、十年で兄の面差しは変貌していた。

署員は最初から私の答えを期待していなかったのかそれ以上に問うこともなく、あっさりと話の先を変えた。
「そうですか、ところで、遺体の安置場所に行ってみますか?」
「は、はい」
「ずいぶんと匂いますよ」
「かまいませんので」
「じゃ、こちらへ来てください」

遺体を安置した場所に案内していただいた。

遺体は医者の手術着に似た色の袋の中に入っていて、無論見えないが、人の形に盛り上がっているのでそれと分り、私は手を合わせた。そのあとで身元照合のためDNA鑑定の手続きを済ませ、「監察医からのお話があります」ということで待ったが、所見が出ないということで中止となった。

署を出たときは4時を過ぎていた。日が傾いたというのになんと暑い日だ。

汗だくになって最寄りの駅まで歩き、帰りは京成上野線で上野まで戻った。署までの道順を教えた方は、田舎から出てくるのだから、JRを乗り継いだほうが迷わないだろうと気づかったようだが、交通手段でもっとも便利なのは、上野駅で降りて京成上野線に乗り換えた方が、また、乗り込む駅が上野駅のすぐ近くにあるのを、そのとき知った。

富山へ帰ろうと思って上野駅まで戻ったものの、時刻表を見れば乗り継ぎの列車が間に合わない。どこかで宿泊しなければならなかった。それならば上野の方が便利だ。兄が住んでいた所をまだ見ていないので、明日、京成上野線に乗って出かけてみよう。

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