嘘だまり

遺構・監的壕

2018年03月16日
自然・風景 0

是ヶ谷ダムを過ぎて
丘陵を越え下りにさしかかる頃、忽然と遺構が現れる。丸山監的壕だ。現在、監的壕は2基現存しており、写真はそのうちの一基


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―丸山監的壕説明文―
監的壕

眼下の桜ヶ池から北へ約3キロメートル、東西約2
キロメートルに亘って広がる丘陵が立野ヶ原で、
先土器時代から縄文時代を中心とする遺跡が点在する
県下有数の埋蔵文化財包蔵地帯である。
 日清戦争が終わり、翌年の一八九六(明治二九)年に
砲兵装備を有する金沢第九師団が設置され、陸軍省は
その射撃演習場としてこの立野ヶ原に着目した。
 同年五月から四回に亘り一四七万坪、当時の南山田・
太美山・東太美各村にまたがる一帯を買収して
「立野ヶ原陸軍演習場」が設置され、砲兵のみならず
諸兵科の演習地とした。
 特に砲兵の実弾射撃は、飛野(現在の自動車学校のあたり)
を拠点として実施され、この地丸山周辺を被弾地
としていたので着弾効果を観測するための「監的壕」
がいくつか建造された。
 この監的壕はその最後の構造物で、昭和一〇年代の遺構
であり、現在演習場としての当時を偲ぶ唯一の遺産である。

 平成十一年三月
城端町教育委員会
 
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参考(現在は説明文の内容が一新されている)
監的壕 (メダマかんてっこう)
この一帯は立野ヶ原陸軍射撃演習場であった。 明治29年(1896) 金沢市に第九師団が強化設置された。 その演習場として明治31年以降数回にわたり 180万坪(600ha)が買収され、 第九師団には砲兵装備があって全国でも富士山麓に次ぐといわれる大型演習場となった。 富山、石川、福井の各県と岐阜の一部を徴兵区とするこの師団は各兵科に別れ実践さながらの実弾射撃が展開されて、 その爆音は遠く井波、庄川町にこだました。
この監的壕は砲弾の的中率、機能効果を監察する所であり、当初は土坑であったものを昭和3年に 近代化で強固な球状型コンクリート製に改修された。 コンクリート工法は当時一般化してなく貴重な資材とされていたが、 日露戦争で第九師団が苦戦した203高地や鶏冠山砲台などを参考にしたものと考えられる。
福光町教育委員会
 
監的壕 (メダマかんてっこう 別名 立野原監的壕)についての付随解説
当時は仕上げのため型枠に新聞紙を敷いてコンクリートを打設したが、監的壕にも新聞紙が使われており、調査の結果、朝日新聞社の昭和3年11月7日付け紙面と判明している。
 
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