嘘だまり

かいこ(5)

2016年10月28日
かいこ

飲み始めてからずいぶんと時間が過ぎたのか、卓の上には空になって転がった銚子、汚れた皿などが散らばっている。子供たちはとうに食事を終えて別の部屋へ移り、蚕子という女も子供の世話をしているのだろうか姿は無く、茶の間に残ったのは男と二人だけだと翔梧は気が付く。子供たちのいない茶の間は先ほどと違って、冷えびえとして薄暗いものに見えた。
 先ほどまで聞こえたカエルの鳴き声も今は途絶え、静まり返って物音一つしない。
「所帯は持ったのか」
「いや、嫁さんはまだ貰っていない」
「そうか独り身か。いい歳だから早く身を固めんといかんな。ところで、将来を約束した人はいるのか」
「そんな人などいない」
「早く嫁を貰え、家族とはいいものだぞ。それはそうとして、これまで案じた弟が無事に戻ってくれたのだ。この先、お前の家族が増えるのが楽しみだな」
 男は嬉しそうに笑みを浮かべてコップに残った酒を一気に飲んだ。

男は「弟が戻った」と機嫌よく飲んでいたが、不意に、「肝心なことを聞き忘れた」と言い、自分の膝をポンと叩く。それが翔梧には、過去に遡る道を閉ざす扉に掛かった錠が、外れた音に聞こえた。
「ところで翔梧、今どこに住んでいる」
「今って、小さい頃から住んでいた所だ、それからどこにも変わっていないよ」
 兄だという男に馴れたわけではないが、酒の勢いなのか。翔梧自身も気付かないうちに口調はやや砕けたものになったが、男はその場の雰囲気をいとも簡単に破った。

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