嘘だまり

ふるさと城端にて(3)

2017年07月09日
幻の家族
小雪と庵唄 (3)の物語を始める前に、城端曳山庵屋台の一部を紹介いたします。
3回目の今回は東上町の曳山庵屋台
東上町御神像

曳山に鎮座する御神像は寿老、安永2年(1773年)荒木和助の作

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曳山の呼称は鶴舞山、高さ6.51m、総重量8トン
安永年間、小原治五右衛門の作(1772~1781)
曳山の呼称に所以する「舞い鶴」の彫刻の数々

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曳山の車輪は外周に鉄輪が填まる。月の輪は二重で、他の山車の車輪よりも直径30㎝ほど大きい。本堅地黒蠟色塗で一重目に雲形文様、二重目に鶴文様の高肉打出し透かし金具を八枚、16本の輻()の表面に三巴紋及び唐草文様の透かし金具、飾り蓋にも三巴紋

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庵屋台は切妻流れで料亭造り2階建て
資料引用 城端曳山祭りパンフレット
資料引用 城端曳山史
関連記事 ユネスコ登録「城端曳山祭り」
2017年5月4日撮影
小雪と庵唄 (3)


 小雪の、「今となってはどうもないちゃだんないちゃ」の真意は何か? 
 戸籍上、小雪と翔一は姉弟だが母親はそれぞれに違い、翔一の父親は誰か分からない。血の繋がりのない二人が求めたのは、「血の繋がりに劣らない確かな絆」、もう他人でない二人だが、小雪には数々の謎がある。
 小雪は家を出る前日、「母が今までお世話になったお礼を、この体でもってお返しするという約束になっているの」と言い、その後の翔一を焦燥と悔恨で苦しめたが、今の小雪からは話したような様子が窺えなかった。また翔一の母が亡くなり、秘める必要は無くなったのに、住んでいる所を翔一に知られないよう、父に口止めした。
 翔一が何よりも知りたいのは、抱いた乳児は誰の子で今どこに。だが今は口にできる雰囲気でなかった。
 城端は坂の町。小雪の住まいを出て町中に行くには階段になった坂を上がるが、「さくら坂」という、広くはない坂道に踏み出すとどちらからともなく手を差し出して繋ぎ合った。
「手を繋ぐのは久しぶりね」
「そうだな、小さい時以来かな」 
 翔一は子供の頃に戻ったように、小雪の手の温もりを確かめた。手を繋ぐ小雪は、「私も今となっては、どうもないちゃだんないちゃ」と、言った時とは打って変ったようにはしゃいだ。姉弟が久しぶりに顔を合わせたのだから相応しい様子と映るが、うわべを取り繕ったようにも見える。
 坂の途中には、名前の通りに桜の木が一本植えられていて、季節になると美しい花を咲かせるだろうと思われた。翔一は満開の桜の下を今と同じように、穏やかな表情の小雪と手を繋いで歩く姿を脳裏に描いたが、それがなぜか叶わないような気がしてならない。
 途中で弧を描いた坂を登りきるといきなり、祭りの喧噪が大きくなった。
 情緒ある三味線・横笛・太鼓の音色が春風に舞う。
「ギューッ、ギユュゥウ」
 突如、車軸をこするような、辺りを圧する重い響きが心までふるわせた。
「厳しい音だな」
「ここでは曳山のことを、この音に合わせて山とも言うのよ」
「これは凄い、立派なものだ!」
 翔一は音と共に目の前に姿を現した曳山の大きさ、絢爛さに驚いた。駅で手に入れた、六台の曳山とそれぞれの御神像、屋台の写真が載った祭の案内書によると、享保四年頃に曳山が始まったと書いてある。
 御神像を乗せ、煌びやかな飾り彫刻を施した豪奢な曳山に対し、先を行く屋台はつづまやかにも見えるが、「庵」ともいうこの屋台、「江戸の料亭を模したものよ」と言われてよく見れば、細工が隅々まで施されて、江戸の文化が目の前に現れたようだ。
 先ほどの情緒のある音色は、曳山に対して少しの遜色もない庵屋台の中から聞こえた。
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