嘘だまり

愛と憎悪の狭間を漂う人達(8)

2017年06月01日
幻の家族
悔悟(2)


 この後父は、「 あの人は憤まんの矛先を私や小雪ばかりか美雪までに向けた」と、話し続ける。
 ある日のことだ。尋常でないあの人 の言動に不安を感じた私は行方を追った。あの人が向かった先は美雪が入院している病院。だが私は、ここで姿を見せて止めに入れば、あの人は逆上して事態がこじれてしまう、と気付く。何かあった時には飛び出す心構えで二人の話しを聞くことしか思いつかなかった。
 あの人が病室に入って、いきなり、「春清から叔父の小切手を貰ったでしょう、返しなさい」 尖った声が聞こえ、やや有って、答える声が。
「でも……、その金は病気の治療や出産に必要な金として頂いたもの」
「いや、約束よりも渡し過ぎているはず、返しなさい!」
 そういえば、美雪の母親に渡した小切手には、私が老人に打ち明けた「必要とする金額」よりも、はるかに大きな金額が記入してあった。あの人はなぜかそのことを知っていて、今頃になって持ち出したのだ。
 美雪は何事にも控えめな性分なのに、あの人の居丈高な言動にも動じぬ様子で、「そんなお金など、使ってしまって残っとらん」と、突っぱねた。だがその後、わが子に累が及ぶことを慮ったのか、
「寄こしたお金を取り返しに来るほど、生活に不自由しているがけ?」
 美雪の唐突な問いにあの人はうろたえたようだ。
「とにかく、渡しすぎた分は返しなさい。返せないなら今後、小雪と会ったりしないで!」
 病室の中に甲高い声が響く。
 美雪は、あの人から充分な金が渡されなくて日々不自由をしている我が子の現状を知っている。一方、私の家族が生活に困るほど窮迫していないことも。
 今になって私は、あの人の目的は金ではなく、金の話を持ち出すことで、「美雪の命が助かり小雪が授かったのは、叔父からのお金があったからだ」、という事実を改めて美雪に突きつけ、今後、私や小雪に一切かかわることのないように念を押しているのだ、と思い当たった。壁を隔てて見えない美雪に、「自分の命と引き換えに手放した我が子へ、辛い思いをさせている」と、悔やむ姿が見えた。
 我が子を慮る母は話しを逆手に取ったようだ。
「小雪に必要な金さえ渡せないほど不自由しているなら、私が小雪を引き取るちゃ」
「なんだって!」 
 美雪の思いがけない反撃はあの人の自尊心を大きく傷つけたのか、声が震えている。
「あんたなんかに小雪を渡すものか ! 、今後どんなことが有っても小雪と会わせない」
「あなたの性分では母親役は務まらないだろう。いいかげんにあきらめたらどうだ」 
 女どうしの意地と確執が言わせるのだろうか。
「あんたが死んでも小雪を葬儀に出すもんか。もし小雪が出るようなことがあれば、あんたの葬儀なんかめちゃくちゃにしてやる」 
 あの人は恨み言を美雪に投げつける。美雪も負けてはいない。
「小雪に辛い思いをさせるばかりでは、後生が悪かろう」
 刺すような言葉を返す。不意に二人の声が途絶え、無音の時間が長く過ぎたように感じた。
――とんでもないことになるのではないか。
 この場からすぐにも逃げ出したいほどの不安と恐ろしさがある。体の芯から冷たい汗が滲み、腋の下を濡らすのがわかる。そのとき父は体を震わせながら、「平穏な日々は望めなくなる」という、篤志家の言葉を繰り返したという。「どうやら、あの人は病院の中だということをわきまえてくれたようだ。心の中に闇を抱えていても、道理のわからない人ではない。あの人は不意に病室を飛び出し、何事もなくその場を引き揚げてくれた」 
 父はそのときさながらに、安どの息をついた。
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素姓乱雑
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