嘘だまり

愛と憎悪の狭間を漂う人達(5)

2017年04月30日
幻の家族
追想(5)


 当時の篤志家は、野心家で辣腕なだけに向こう気も強い。
「金で動く奴の言うことが信用できるか」
 臆面もなく賊に言葉を叩きつけた。賊は覆面の内で笑ったかのように顔をゆがませ、篤志家の心の内を読んだように、いきなり、いとも簡単に兄を刃物で刺し貫く。 兄は声を上げることもなく床に崩れ落ちた。
 賊は、兄の血が付く刃物で篤志家の頬を叩き、
「そうか、金で動く奴は信用できないか」
 体の向きを変えた賊は兄嫁に手を掛けて体をなぶりはじめた。 兄嫁は篤志家から金を引き出すための生贄いけにえだ。
「お願い、やめて」
 賊に哀訴する兄嫁の声が、篤志家の心に鋭く突き刺さる。
「待ってくれ、言うとおりに金は出す」
 篤志家は哀願した。
「もう遅い」
 賊は犯した罪に興奮したのか生贄ということも忘れ、切り捨てるような一言だけで動きを止めない。賊に嬲られる兄嫁の姿はあまりにも哀れ。その時、異変に気づいたのか人の駆けつける気配。すると、今まで俯いて震えていた姪が急に立ち上がり、賊に向かって、
「誰か来る、その女がそれほどいいなら連れて逃げればいい、早く逃げて」
 と、叫んだ。姪を見た賊は、年恰好から見て女の娘と気づいたのだろう。その娘が母親を「その女」呼ばわりする。呆気にとられる賊に、姪は更に付け足した。
「金で転ぶその女と違って、あなたは金なんかで動かない本物の人間。その女はあなたにくれてやるから早く逃げて!」 
 賊はどのような境遇を歩んできたのか定かではないが、姪の言葉に鋭く反応、真意を探ろうとしたのか兄嫁の側を僅かに離れた。篤志家はその瞬間を見逃さず賊に体当たりする。
 まともに受けた体当たりで床に倒れこんだ賊は、駆けつけた人たちによって抑え込まれたかに見えた。
「俺のことを『本物の人間』と言ったのはお前が初めてだ。お前の言うとおりにこの女は俺が連れて行く」
 賊はそう言って姪を見た瞬間、渾身の力で抑え込む手から逃れ、乱れた衣服のままくずおれている兄嫁の胸を刃物で刺し貫いた。兄嫁のくぐもった悲鳴が、篤志家の耳を襲う。
「やめろ!」
 兄嫁の悲鳴と同時に篤志家は目を硬くつむり、腹の底から血を絞るような声を上げた。その時、篤志家は声と共に、口から何かが抜け出るのを覚る。同時に、頭からつま先まで、身体全体に異変が起きるのを感じた。
 その後、賊は捕まったものの、兄も兄嫁も助からなかった。事件後、窓ガラスに映った篤志家の像はいつもの若くて覇気のある姿ではない。映っているのは思ってもみない白髪の老人だ。


 過去を打ち明けた篤志家は、まだ五十にも満たない、年齢に似合わぬ老人の顔を上げた。
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素姓乱雑
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