嘘だまり

かたみ分け(1)

かたみ分け(1)

― 第一章 ―誰もが一日の仕事から解放されて帰路を急ぐなかで、加奈だけが淋しさを抱え、人の群れの中をさまよっている。夫はまだ存生していて、もしかしたら人混みの中でぱったりと行き合うかもしれない。そんな儚い望みが加奈を人の群れの中へ誘う。短い間だったけれど、楽しかった夫との日々はもう戻らない、と頭の中では分かっていても、加奈の気持ちが追いついていかない。夫が亡くなり、慌ただしくひと月が過ぎて、「広い」...

かたみ分け(2)

かたみ分け(2)

そのような翔平の事情など知らない加奈は、「この人までも」と思った。夫がいた頃の翔平は、何度も家へ遊びに来ていた。加奈にとって義理の甥にあたる翔平は歩く癖までが夫に似ていて、「翔平は夫の隠し子ではないか?」という悪口さえ耳にしたことがある。それほどよく似た夫と翔平は、加奈を妬やかせるほど気が合うのか、新婚早々の家に泊っていったことが何度かあり、「翔平の奴、兄貴に、『泊るように誘いがあっても遠慮するも...

かたみ分け(3)

かたみ分け(3)

翔平の返事に安心したのか、加奈は何ごともなかったように話しを進めた。「家に来るのは久しぶりね」 「そうだな、叔父さんの葬儀の帰りに、立ち寄ったとき以来かな」翔平は「叔父さんの葬儀」と言った時、僅かに眉根を寄せた。翔平にとっても、辛い思い出に違いない。「私には長い間、家に寄ってくれなかったような気がする」、加奈は感情の赴くままに言った後で自分の声音が甘えていると気付き、媚びているようだと悔いたが、幸...

かたみ分け(4)

かたみ分け(4)

加奈の家に着いた翔平は入念に家の外を見回るなど、加奈をずい分と待たせて玄関に入った。「変わらないね」 玄関を眺めまわした翔平がつぶやいた。「そうよ、前のまま。だって変えようがないもの」 「もしかしたら、片付けてしまったと思った」 そう言われてようやく、加奈は思い出した。加奈は玄関に飾ってあるお面の置物を指し、わざと夫にも聞こえるように大声で、翔平に向けて言ったことがある。「このお面、邪魔。それに、...

かたみ分け(5)

かたみ分け(5)

お茶の準備を整え終った加奈は、いつまで経っても側に来てくれない翔平に苛立った。先ほどのお面の件で、「翔平の機嫌を損ねたかな」と心配したが、家の中を眺めまわす翔平にそのような素振りは見られない。 早く話し相手になってくれるのを待ち望んでいる加奈は、心に生じたさざ波に翻弄される翔平にまで思いが及ばなかった。叔父がいたときの加奈は叔母という意識が勝り気ままに話せたが、叔母という垣根が無くなったと気付いた...