嘘だまり

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かいこ(4)

男は納得したように、「まぁいい、無理に思い出さなくてもそのうちに思い出すさ」 続けて、 「まさか俺の名前を忘れていないだろうが、俺はおまえの兄で翔一、これは嫁の蚕子、そして子供は繭子と絹子だ」と、指し示して翔梧に名前を教え、嫁には「弟の翔梧だ」、子供たちには「叔父さんだよ」と優しく言い聞かせる。 どうやら男は、翔梧が出かけたまま戻らないばかりか長い年月に渡って便りも寄こさなかったのは、「記憶を無く...

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かいこ(7)

十二年前に何が起きたというのだ? 翔梧はその時から過去を失ったと気付かぬまま十二年という月日を過ごしたことになるのか。「夢で見るからには現実という下地が有るからだ。家の前に出て通りを眺めれば当時を思い出すかもしれんな。で、夢の続きは出てこないのか?」  男はじっと翔梧の顔を見た。「隠しても知っているぞ」という顔つきだ。翔梧の心に不安を積み重ねてゆく。 ――過ぎた日々を明るみに出してどうしょうというの...

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かいこ(9)

翔梧はやさしかった父と母を思い浮かべて兄・翔一の苦言にため息をつく。亡き父と母を偲ぶうちに、仕事熱心だったと聞く父の記憶が浮かんだ。 翔梧の父は、1953年(昭和28年)、城端町北野(現、富山県南砺市北野)の地に創設された蚕業技術指導所に勤めていて、家族は官舎に住まいしていた。 指導所はその頃起きた正絹  (絹には正絹と人絹が有り、正絹は天然繊維で、繭から取り出した本物の絹糸を指し、人絹は絹糸に見立...

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かいこ(10)

需要に応じて指導所が創設されたものの、城端(現 富山県南砺市城端)に立地する工場ではすでに、1930年(昭和5年)から人絹を使った織物生産が始まり、指導所が出来た三年後の1956年(昭和31年)には、当時、合成繊維の中でも画期的といわれたナイロンを使って織物生産を始めている。 十三年後の情勢を知る翔梧は、正絹で賑わった城端が戦中戦後には人絹で賑わい、その後、合成繊維の時代をまい進することは知っている...

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かいこ(12)

人喰い谷を通る時は誰もが慎重な運転をするので、今まで重大事故は起きていない。それが今回、「2名の乗った車が谷に転落」、という最悪の事故発生で地元は大変な騒ぎになった。すぐに救助隊が編成され、慌ただしく次々と現場に向かうサイレンの音が広くはない町を揺るがした。  救出に駆り出された人達は現場に到着すると次々に命綱を頼りに急峻な崖を下りた。時折、濃いモヤが薄らげば、黄泉の国へ誘うように深い谷底が顔を覗...

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かいこ(17)

翔梧の心を覗くかのように目つき鋭く底意地の悪い顔付きをして、「俺が夢の続きを見せてやる」と言つた「あの男」も、「北さん」でいる限り理不尽な話を持ち出したりはしないだろう、と翔梧は思った。  一方、北さん越しにいる翔一は何を思っているのか、何もない一点を見据えたまま。  その頃の若い夫婦の思いを代弁するかのように、北さんの話は熱を帯びた。 「戦後の物不足が続いていた頃で生活は楽でなかったがやけど、夢...

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かいこ(19)

北さんは、「お父さんとお母さんは失意のまま帰路についた」と話しを接ぐ。 「日中でさえも薄暗い森の中の道を、さ迷ったと思うほど中間地点の細尾峠に着くまでの道のりは長く、待ち望んだ城端の村落が山の間から見えるようになっても、どんよりとした疲れが体の奥底に沈んだままで消えることがなかったがや」  翔梧の頭の中に、どうしょうもなく後悔に苛さいなまれる父の姿が浮かんだ。  北さんの話しは間違っていないだろう...

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かいこ(23)

淡々と翔一は、「残った一頭が両親の様子を教えてくれたがですね。話しの内容を疑ったりして失礼なことを言うてしもたちゃ、堪忍して下さい」 全てに納得できたという様子を見せた。 一方、北さんの話しがいまだに信じられない翔梧は、「蚕が話す? そんな馬鹿な!」と、疑念を拭えない。受け取り方の違いが兄弟のその後を分ける。 全てに納得の翔一が聞いた。「それで、繭になった一頭のその後は?」「今も繭の中で眠っている...

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かいこ(24)

かいこ(24)

翔梧を十三年前という過去へ引きずり込んだ、「あの男」の姿が浮かんだ。 北さんから戻った「あの男」は翔一・翔梧の兄弟に告げた。 「蚕の魂は翌年、九年目の繭を破り人魂を宿して九界へ戻る」  もはや先ほどのような朴訥さは見られず、独特の訛も今は失せ、北さんとはほど遠い雰囲気だ。 「会った最初に言った、話しておきたい内容というのは、蚕が九界に戻った後のことについてなんだ」  遠くから切れぎれに聞こえる車の...

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かいこ(25)

兄・翔一の「翔梧!」 と呼ぶ声で、翔梧は過去にいたのだと改めて気付かされた。  人喰い谷であの男北さんに出会ってからというもの、口うるさかった翔一の苦言は滅多に聞かれなくなり、時には考え込むことの多くなった翔一だったが、今朝は珍しく明るい声で翔梧を呼んだ。 「何だい兄さん」  翔梧は聞こえてきた家の外に向かって応じながら、今日は寒いと思って窓の外を見れば雪の花が舞っている。玄関から外に出た翔梧の姿...

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かいこ(27)

「兄さん!」 すべては瞬時のことだ。  人喰い谷で翔梧が気にした時と同じような、ガサゴソ動き回る蚕の気配が濃厚になった。 「安心しろ翔梧、いま俺が食ったのはお前の頭の中に残った翔一にまつわる記憶だ」 「お前は!」  翔梧の目前で像を結んだ男は蚕の一部を覗かせていた。 「そう、俺は人喰い谷で北さんが捜しても、最後まで見つからなかったという蚕。お前の父が、翔一とお前の、兄弟の間に存在を含めた三頭の内の...

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かいこ(28)

- 最終章 - 窓ガラスを叩く「コンコン」という音がする。 「翔梧さん!」  あの男はまだ何かを言いたいのだ。いまだ翔梧の耳に警笛の音が残っている。 「翔梧さん聞こえますか?」  あの男の姿が残像となって話しかけた。  車のライトが襲い体が宙を舞ったのは自分か?、いや、こうして意識はあるのだから舞ったのはあの男か?、そうではなくて、兄が事故に遭ったときに見た一瞬だった。翔梧は十二年前の年明けに起きた...